昨日、当社の走り屋セールスマサキくんが秋田へ納車に行ってまいりました。
今回ご購入を頂きましたK様、誠にありがとうございました。
顔出しは残念ながらNGでしたので、車だけの出演です。
ご購入を頂きましたZ4は単なるZ4でなく非常に個性的な車。
先代のZ4ですが、外装が濃緑のディープグリーン、それにあわせ幌がベージュ、
そしてインテリアカラーもベージュのレザーとどこかイギリス車をイメージさせる
この組み合わせは、探してもなかなかない仕様。
レザーも標準のものではなく、エクステンドレザーというひとクラス上のレザー。
しかもナビパッケージまで付いて完璧な仕様です。
こんなすばらしい車を手に入れていただいたK様、ご購入本当にありがとうございました。
是非大切に乗っていただければと思います。
さて、いつものマサキくんの遠方出張はというと食べ歩き。
しかし残念ながら今回は秋田県ということで、大好きなラーメンは目に留まらなかったようで
昼間は横手やきそばをご賞味。
夕食は一人さびしく駅弁をという、いつもと違った食べ歩き?になったようで。。。。
ならばというわけではないと思いますが、しっかり秋田観光をしてまいりました。
秋田の駅からすぐ近くの久保田城を散策。
久保田城ときいても、私もお恥ずかしながら知らなかったんですが、
外部情報機関(Wikipediaですがなにか?!)によると
久保田藩主佐竹氏の居城である。矢留城、葛根城とも呼ばれる。江戸時代の公式文書では「秋田城」と書かれることが多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地ともに別の城であり、今日では「久保田城」の方が一般的である。
雄物川の支流仁別川左岸、程野村窪田にある神明山(しんめいやま、標高40m)に築かれた平山城で、石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており(鉢巻土手)、天守も持たず塁上に出し御書院と呼ばれる櫓座敷を建ててその代わりとし、8棟の櫓を建て並べていた。石垣が無いのは幕府に遠慮したためとも言われるが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったため、石垣作りに精通した者が居なかったともされる(但し後に江戸城の修築を命じられた時、佐竹氏は石垣の普請も担当している)。いずれにせよ山川沼沢を巧みに利用し防御を図っており、水堀や円郭式城郭など西国の様式も採り入れられている。
1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ、城下の中通を中心に秋田県初期の官庁街へと変貌した。現在、久保田城本丸のあった一帯は千秋公園となり、秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館、平野政吉美術館などが整備されている。建造物としては、前述の大火を唯一逃れた御物頭御番所が現存し、本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)、本丸表門が再建されている
難しすぎてよくわかりませんが、ここを見学してきたそうです。
風光明媚な非常にいい場所で、ここでZ4をの写真を撮ったら最高!って
写真からでも伝わってきます。
遠方に出張納車に行くと必ず、食べ歩きか観光をしてくるマサキくん。
今度は九州に出張予定ですので、なにをやってくれるか乞うご期待です!