現在では2代目へバトンタッチされているこの自転車、老舗メーカー品の実用的なシティーサイクル。
一見まだまだ使えそうですが、実はとんでもない所が壊れています。。。
通常、こういうものは逆ねじになっていて緩まないようになっているのですが、フレーム側のネジ山が完全に切れていて閉め込不能状態になっています。
修復不能と言う事で、2代目へとバトンタッチとなりました。
自転車は構造上、ヘッドベアリングとこのBB部分に大きな力が加わります。
そのため、当然このような破損がないように作られているのですが、長年の使用でちょっと緩んできただけでそのまま使い続けるとこの様な事になるようです。
これが、有る程度のスピード走行中に起こったとしたら、結構な惨事になっていたかかもしれません。恐ろしい。まぁ幸いにもそのような事は無かったので良かったのですが。。。
想定外の事が起こる、起こったと言えば、最近ではやはり原発事故関連でしょう。(他にもいろいろありますが)
今回の事故があるまで僕自身も真剣にこの事を考えてこなかった訳ですが、いま改めて思うと原発はやはり危険だという事です。
原子力の平和利用などと一部の識者が反対に対して異を唱えているようですが、平和利用といいながらこれほどまでの被害状況は、戦争でもないのに悲惨なものがあります。 その上、いまだ終息の目途も立たない状態ですし。(発表されている計画が滞りなく実行されるとは、にわかにと言うか全く思えないし)
安全で平和的で有効な活用方法を見つけるための研究開発を続けることは、可能性を模索する上で今後も必要かもしれませんが、安全が保障されていない、むしろリスクの方が大きい今現在は凍結に向けて動いて行った方が良いのではと僕も思いました。
「凍結に向けて動いて行った方が」などと書きましたが、原発の最大の問題点は、今日やめて明日からか使わない!とスパッと切り替えられない所にあります。
使用済み燃料棒を完全に廃棄するにも長い時間をかけて冷やす必要があるし、運転中の原発も止めることはできても、すぐには廃棄もできない。
これって全く、ブレーキの付いてないF1みたいなものなんだと思いました。
300km以上のスピードは出るけど止めるには惰性で止まるまで待つしかない。。。
これって物凄く恐ろしいし、全くもって「安全利用」とか「平和利用」って言葉からかけ離れているんじゃないかと思ったのです。
クルマだって、ハイパワーのエンジンは作れるけど、それを使うためにはそれ相応の減速装置が必要だし、それ自体の耐久性や安全性も必要です。
むしろ、乗り手はブレーキやコントロール性にこだわる事が多いんじゃないでしょうか?
ドライバビリティやハンドリングの悪いクルマには誰も乗りたがりません。
誰も死にたくはないですから。
しかし、なぜに原発だけはこのあたりの安全性に対して監督機関も寛容だったんだろう?
今となっては誰トク?これって?って感じです。